こんにちは、
杉浦由佳です。
あなたが、この文章をすらすら読めるなら、
日本語で文章を書くことには、さほど抵抗がないと思います。
日本人は読み書き話すというリテラシーが高い民族でもあります。
にもかかわらず、文章がなかなか書けないという人がいます。
そういう人の共通点を考えてみたいと思います。
1)完璧主義である。
私も以前はこれに当てはまりました。
文章を書くときに、
なにやらとてつもなく素晴らしいものを
書かなければいけないと思い込んでいるのです。
本人は、
それほど完璧を目指しているつもりなどないのですが、、、
というより、むしろ完璧とは程遠いと思っているからゆえでもあります。
完璧主義というのは、
100点を取る人のことではなくて、
100点を取らなければならないと、
脅迫的に思ってしまっている人のことをいいます。
ですから、少し書いては消し、
また書いては消し、一向に前に進みません。
場合によっては、書き上げてから、
こんなものは出せないとお蔵入りにしてしまったりします。
完璧主義の定義を、ウィキペディアで見てみましょう。
完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと 。 定められた時間、限られた時間の内にて完璧な状態を目指す考え方や、精神状態のことである。
この「過度に高い目標基準を設定し、
自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格」
が災いして、文章がなかなか書けなくなってしまっているのです。
もっと言えば、
自分がすらすら書ける実力以上の文章のクオリティを、
自分に求めてしまっているのです。
これでは、なかなか書けなくなってしまうのはあたりまえですね。
数多くの文章を書くからこそ、
上達していくというものです。
つまり、量を書かなければ上手くならない。
完璧を目指すあまりに書く量が減ってしまう。
その結果、上手くなるための機会損失になってしまっているのです。
高いクオリティを目指すことは、
もちろん、悪いことではありません。
しかし、書こうとする意思も時間もあるのに、
上手くなるための絶対的な行動量が減ってしまうのでは、本末転倒です。
例えて言えば、
彼女が欲しいのに、
女性が喜ぶデートをするスキルや計画が不完全だと思うがあまりに、
いつまでたっても女性をデートに誘えないような状況だといえます。
これでは、
時間ばかりをいたずらに消費してしまい、
女性と過ごせる時間は一向にやってきません。
練習や経験を積み重ねないで、
持って生まれた才能で完璧なものを
世の中に出せるという人は、そうそういません。
どのような分野においても、
むしろ、行動量が多く、
何度も失敗を重ねているような人のほうが、
その道の達人になっています。
2)いつも何かを批判している。
こういう人は、
自分の首をしめている可能性があります。
意識的であろうが無意識であろうが、
他人のことを、常に批評したり批判したりしている人は、
実は少なくありません。
しかし、
他人を見ている批判の目が厳しければ厳しいほど、
その人自身の行動を自分で縛ってしまいます。
人は、自分が掛けている色眼鏡で見ている世界を、
他の人も同じように見ていると感じるからです。
つまり、自分以外の人も、
他人を批判的な目で見ていると思い込んでしまうのです。
そうすると自分の書いた文章を、
他人が批判的な目で見るのではないかと思い、
それが怖くて書けなくなってしまうのです。
文章だけに限らず、人前に出て話したり、
新しい人に話しかけたり、何かに挑戦したり、
人の目にふれる場所で行動を起こそうとするたびに、
批判されるのではないかという思いが足を引っ張ります。
「人を呪わば穴二つ」
ということわざがありますが、 あれは、人を呪うと、
自分もまた呪われているのではないかという思いにとらわれ暗示にかかり、
地獄に落ちてしまうということではないでしょうか。
練習なくして上達なし。
完璧主義を目指すあまりに、
書く機会や量が減ってしまっては本末転倒です。
肩の力を抜いて、人目を気にせず、
思いの丈を自由に、気のおけない友人に話すように、
まずは書いてみてはいかがでしょうか。
今日のまとめ
理想を追求することは美しい。
しかし、「今の自分を認める覚悟」もまた、美しい。